いつかの君へ→もしも 呪術廻戦 27話感想。感情とはなんなのだろうね?
虎杖の陽の強さによって吉野順平には僅かながら救いの未来が見えた。
胸が痛い…セリフが沁みる……って人、きっと多いよねここ。僕も身に覚えがあるよ。
そしてトドメの
「だから 死ぬんだよ」
からのグニィ(自主規制)
このグニィはさ下手すりゃ子供心にトラウマ作るよ。まったく何てことしてくれたんだ少年ジャンプ。いいぞもっとやれ。
たぶんこれまでを読んできたみんなこの顔した。
しかもここから順平(だったもの)と戦わされる虎杖。
上記の表情から即座に気持ちを正せたのはちゃんと理由があって、縋るものがあったからなんだよね。
間髪入れずに宿儺パイセンへと必死に嘆願する虎杖。
やはり宿儺へはある種の絶対的な信頼があるんだな。こいつに不可能はない。みたいな意味での信頼が。
だけどそこは呪いの王。
間髪入れず「断る」
このページの情報密度が濃くて濃くて色んなことを考えていたのだけれど、
次の見開きでの強烈な ゲラ ゲラ ゲラ ゲラ 呪い2体の全力嘲笑で全部吹っ飛んだよね。
ここまで、虎杖は実に理性的に動いていた。順平が悲惨な状況に瀕してもなお、だ。
でも虎杖はここで理解した。
これからはタガが外れたように、まるで本能の赴くまま動き出したようにも映る。
そこからの「ゆ…うじ…」と名前呼びで事切れる順平。
完全に虎杖と読者の感情がシンクロした瞬間ですわ。
問答無用で真人をぶん殴る虎杖。そんなの効かないはず、だったのだが
自らの身体の中に宿儺という別の魂を飼っている虎杖は自然と魂の輪郭を知覚できることで、真人にとっての天敵といってもいい存在であることがわかる。
そして、
これ、感情の高ぶりがあり、その前提で何気なく提示されている心情だけど、虎杖にとってはめちゃくちゃ重たいものなんだよね。
この心情は彼自身の信条への直接の否定になりかねない。
今エピソードでテーマの1つとなっている「人の心」に対してもかなりの意味を持つものだと思うけど、心の底ではなく腹の底という言葉が選ばれているのもいろいろ意図が感じられる。
このあたりは真人戦が落ち着いたあとで何かしら描写があるだろうか?
ラストがこれで、今回もすげえ痺れる引きなんだけど
本能的に、衝動的に「ぶっ殺してやる」が飛び出す人間(呪術師)虎杖。
対して理性的に「祓う、の間違いだろ」と正す呪霊の真人。
とにかくどこまでも対比構造で魅せてくるわけだが、
善(虎杖)≒吉野順平≒悪(真人)
まじない(虎杖)≒吉野順平≒のろい(真人)
みたいに人間らしすぎる人間であった吉野順平を挟んでの綱引き構図でひたすら揺さぶられて責めたてられとるのよね。
さて、
人に心はない。喜怒哀楽はすべて魂の代謝によるものであり、心と呼ぶにはあまりに機械的だよと真人は言った。
人は目に見えないモノを特別に考えすぎる。見える俺にとって魂は肉体と同じで何も特別ではなく、ただそこに在るだけだとも。
主に今27話における虎杖の感情の振れ幅は本当に、単なる代謝、オートマチックな反応行動にすぎないと、そう言い切れるモノなのか。
あまりにも素直で直情的な虎杖だからこそこうなっているのか?
この一件の過程と結果における「心」の揺れ動きにも個体差はあるはずで、じゃあそれを形成するモノはなんなのか。
ここで今エピソードのもう1つのテーマを思い出す。『大人と子供』
母と子。教師と生徒。先輩と後輩。等々、色々な形で描写はされている。
んで真人だって七海の言及で『大人と子供』に一枚噛んでたりするわけで。
現状この決戦の現場には虎杖、真人、順平の子供達しかいない。
まあメタ的に考えても虎杖一人で真人をどうこう出来るとは思えないので
ここはきっと大人(七海)の参戦があるはず。
でもそうなれば……ちょっとフラグ立てちゃってるもんで何が起こるか怖いよなあ。
やっぱ次週も読むの怖いわぁw
(宿儺も真人との対比で呪霊としての大人と子供が描かれる可能性あるよね、不穏だ)
そして完全に見落としてて後で気づいたんだけど、
次週、表紙&巻頭カラーって! いやすごくね!!?
しかもアレだよ。ハンターハンター再開の週だよ。めっちゃアピールできるやんビックリしたわ。
いやあ、ワクワクするなあ。